『MICHIYOSHI NAOE』The first MODE Laboratory

『モードの流動・稼動』 21世紀のモードの新たな展望を切り開く 「衣服+身体」「コスメ+身体」を科学する。モダンカルチャーを科学する。 ファッション・社会文化研究 脳科学とファッション

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「和モード」花魁ファッションの文化社会学

観月ありさ主演の『吉原炎上』を特別番組でテレビで放映されていた。
周知の如く「花魁」がテーマである。吉原遊郭。
(花魁については、江戸時代を舞台にした花魁映画『さくらん』と明治時代を舞台にした花魁映画『吉原炎上』を観賞してほしい)

ここでは、花魁のファッションについて取り上げてみたい。

花魁と言ったら、華やかな衣装に身を包み、髪に何本もの簪をさした装束をイメージする。この派手で独特な遊女のスタイルを確立するようになったのは、江戸中期か幕末にかけての事である。

髪には、大きな櫛を二枚挿す。簪は後ろの左右に三本ずつ、前の左右に三本ずつ挿し、全部で十二本挿すものである。

このような髪型に、花魁道中では、夏冬とも、長襦袢を二枚、小袖を三枚重ねて着る。その上に、吉原では仕掛けと呼ぶ豪華な打ち掛けを二、三枚重ねて着る、仕掛けは、床とこすり合うような長い裾の部分に綿を入れて厚く作る。肌着には、湯文字を付け、その上に蹴出しを巻く。これらは、歩く時に見える事を意識して美しいものが用いられた。
当時の一般庶民は、このような高価な布を使うのが花嫁衣裳の時だけであった。
花魁のもっとも象徴的な前帯は、垂れ下がる形の「まないた」とよばれる締めかたを用いていた。相撲取りの前まわしのようである。
更に、高さ五、六寸(一寸=約三センチ)もある重い高い下駄を履き、外八文字と言う独特な歩きかたで練り歩く。

花魁がこれほどまでに現代でも浮世絵などで取り上げられるのは、当時のファッションリーダーであり、男性ばかりであるだけでなく、女性までもがその美しさに魅了され、虜にされ、一般庶民までもが当時真似るくらいであったからである。
どの時代にも流行と言うものがあり、今も昔もその在り方は変わっていないことがわかる。

その時代時代の女性のファッションを罵倒する者は、表面しか見てとれないあさはかな考えの言説でしかない事がわかる。

花魁は、そのファッション性だけにとどまらず、その背景にある生き様が、人生観、価値観が支持されていた。

西欧ファッションばかりでなく、日本にもこのような奥深いファッション文化があることを、現代女性にも認識して欲しい。

花魁道中を着飾り歩く女性は、当時のファッションショーであったのかもしれない。
現代のファッションショーが日本ではじめて行われたのは、20世紀初頭を待たなければならない。

花魁のファッションは、歴史的に見ても、華やかさが1番であったものであったと言っても過言でない。


フランス文学でいうとこれの『椿姫』に似ているかもしれない。

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  1. 2008/01/10(木) 00:29:05|
  2. 都市社会学・文化・理論社会学
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